プリント工場の丸昇
主にアパレル製品へのプリント・加工がメインとなります。最新のプリント機械から、昔ながらの手刷りのシルクスクリーンまで様々なプリント技法をお客様へご提供いたします。強みは業界随一の技法の豊富さです。アパレル製品に関することならどんなことでもお気軽にお問い合わせくださいませ。
社名 | 有限会社 丸昇 |
所在地 | 本社工場 497-0058 愛知県海部郡蟹江町富吉3丁目210番地 GoogleMAP 千音寺工場 454-0971 愛知県名古屋市中川区富田町千音寺西尼ヶ塚218-8 Magriculture Project(農業事業部) 470-3501 愛知県知多郡南知多町大井東園 |
連絡先 | https://www.marusho369.com/contact/ |
代表取締役 | 安藤 明弘 |
設立 | 1985年3月23日 |
主要取引銀行 | 名古屋銀行、愛知銀行、中京銀行、桑名信用金庫、PayPay銀行 |
決算月 | 2月 |
従業員 | 99名(パート・アルバイト含む) |
事業内容 | 国内自社工場による、衣料品プリントの企画、製造、受託加工、販売 、仕上げ、検品、包装、値札付、縫製、ネーム付、配送業務 、上記に附帯する全ての業務 |
主な取引先 | アパレル商社、アパレルブランド、セレクトショップ、アパレルメーカー、レコード会社、アニメ制作会社、他 |
協力工場 | プリント関連3社、製品(染め)関連3社、刺繍関連3社、仕上げ関連3社 |
代表挨拶

パーパス 「私達はプリント技術とサービスを通じて、お客様に幸せを提供します」 国内有数の技法数を持つプリント技術と仕上・縫製をはじめとする多種に渡るサービスを通じて、お客様に幸せを提供することで、企業の存在意義を高め、お客様との信頼関係を構築することができます。 私たちは、このパーパスを明確に掲げ、これまで支えてくださった多くのお客様に感謝を申し上げると同時に、今後もビジネスの展開や企業文化の形成に努め、より一層の成長を目指して日々努力してまいります。 皆様のご支援とご協力があってこそ、私たちは今日まで成長を続けることができました。今後も、お客様のご満足に向けて全力を尽くし、より良いサービスを提供してまいりますので、引き続きご支援賜りますようお願い申し上げます。 企業理念 「従業員の幸せ」 「明るく充実した企業創り」 従業員行動指針 「お客様をHAPPYに」 「チームワークあふれる会社を創ろう」 歴史 弊社は1985年に創業したアパレル衣料品を中心としたプリント・仕上・縫製を請け負う製造工場です。私が T シャツのプリント(シルクスクリーンプリント)に出逢ったのは 11 歳の時でした。創業当時の丸昇はスレートの掘立て小屋のような小さな工場で、真夏なのに外より暑い工場内で汗を噴き出しながら当時の職人さんが一生懸命に作業していました。当時小学生だった私はプリントを刷ることはなく、刷られたプリントをドライヤーで乾かす作業を手伝っていたのですが、乾いたら次の色が刷られ、 それをまた乾かすという作業を繰り返しながら、鮮やかなグラフィックが T シャツに刷り上がっていくのが嬉しくもあり何より楽しかったことをよく覚えています。大量生産時代だったこともあり毎日ガチャガチャしながら終わらない作業に向き合い、それでもみんな生き生きした活気のある工場でした。 2002年26歳の時、小さい時から手伝ってきたプリントを思い出しながら夢と希望を持って丸昇に戻ったのですが現実はそれほど甘いものではありませんでした。海外生産の波に飲まれ、国産製造の基盤は大きく様変わりしていました。父には神がかった先見性があり、私をアトリエのようなハンドメイドプリント工場さんに丁稚に行くように指示し、そこで素晴らしい師匠と出逢うことができました。そこで過ごした半年間は今考えると奇跡のような毎日で作品のようなプリントたちは全て目を見張る物ばかりでした。そこでプリントに対する考え方や発想の転換を学び、丸昇のプリント技法の礎を築くことができました。 半年後に戻った丸昇では、類に漏れず当時の得意先さんである国産メーカーがどんどん消滅し、受注は減り続けていました。 この状況に直面し、私は自分自身に問いかけました。「どうすればこの厳しい状況を乗り越えることができるのか?」丁稚で培ったにわかな知識で深夜遅くまで研究とサンプル作りを始め、まだほのかに暖かい出来たてのサンプルたちをスーツケースに詰め込んで東京へ飛び込みました。 まだ表現力の乏しい荒削りなサンプルばかりだったのですが、それでも当時のデザイナーさんたちの興味を引くことが出来、作品作りに欠かせないインスピレーションを呼び起こす助剤になったようです。その後、なんとか無事に受注をいただくことができ、丸昇のお客様はそこを境に数年でほぼ入れ替わることになりました。 そこから現在に至るまで丸昇のスタイルは常に変化と進化を続けてまいりました。例えば、営業面では私が営業に行くことはなくなり、若き営業マンたちが私の代わりに活躍してくれており、HPも丸昇らしさにこだわり、プリント技法がお客様に伝わるように常に更新されています。 丸昇の根幹とも言えるプリントの開発は私の同志でもあるプリントマスター渕上が後を担い、現場メンバーも含めて日々切磋琢磨しながら新しい技法・表現方法を生み出してくれています。結果としてプリントの技法は、ハンドメイドなヴィンテージ加工から最新のインクジェットプリントまで国内トップクラスの技法数を誇り、アパレルの流行やお客様の要望にお応えしながら日々精進して今日の丸昇になっております。 CHALLENGE 2021より新たな挑戦として農業事業部を発足し、無農薬の野菜と綿花を栽培しております。 ―丸昇がなぜ農業を始めることになったのか。 そこには今日の日本もしくは世界が抱えている問題が大きな原因でもあります。私は以前より農業に興味がありました。ただ最初は、幼少期の父母の実家の畑で収穫された採れたて野菜の美味しさを思い出しながら、「自分たちの手で育てた野菜は絶対美味しいだろうなぁ」とか、「どうせやるなら海が見えて景色も素敵なロケーションでやれたら最高だよなぁ」といった誰もが持つような漠然とした興味と夢でした。しかし情報化社会になり、日本の食料自給率の低さ・食の安全・世界人口増加・世界飢餓など私たちが生きていく上で欠かせない『食』というものが思った以上に危機にさらされている状況にあることを知り、その思いは年々変化していきました。2021年4月、自分たちで安心安全な野菜を育てよう!せめて従業員やその家族の方々には無農薬の野菜が届けられるようにしよう!との想いから丸昇農業事業部(Magriculture Project)を発足させました。その想いは奇跡を呼び、いろいろな出逢いを経て、縁もゆかりもない私たちが南知多町で農業をスタートさせていただける事になりました。南知多町は、愛知県の知多半島の先端で温暖な気候と水はけの良い土壌で野菜づくりには最適な土地です。そして私たちがスタートすることが出来た農地が海の見える小高い丘なのです。 ―なぜオーガニックコットンを育てることになったのか 農業を始めよう!となってからの奇跡の1つに『綿花栽培』もあります。古くからの友人から「農業を始めるなら綿花も作ってよ」と提案されたのがきっかけです。彼は知多半島には知多木綿という江戸時代から続く歴史ある綿織物があって綿花栽培に適しているはずだし、製品まで作れるのでは。とのアドバイスもくれました。確かに愛知県はかつて紡績が盛んで綿花栽培→紡績→編み立て→染色整理→裁断→縫製を完結できる地域でもありました。丸昇ではこのような背景を踏まえ、無農薬で綿花を栽培することで、紡績・編み立てを経て製品化し、そこに自社の持つ豊富な表現力を活かした柄をプリントすることで、他社には出来ない素晴らしい製品作りを目指しています。